勝手に水戸検定合格講座 歴史・史跡編その4

【問題27】
現在水戸市がある場所の古代国名は何だったか?
下総国
常陸国
武蔵国
陸奥国


正解は②。
常陸の国は、大化の改新後まもない頃に成立し、はじめは「常道国」といったらしい。古代の東海道常陸まで伸びていて、常陸はその道と関係しているという説があるとのこと。なお、「陸奥」はその奥の意味。
常陸国奈良時代から平安時代初めにかけては蝦夷征伐の基地として、大きな役割を果たした。


《ミニ知識-常陸の名のいわれ-》

2説ある。
(1) 
行き来するのに、湖(うみ)を渡ることもなく、また郷々の境界の道も、山川の形に沿って続いていて、まっすぐ行ける道、つまり直通(ひたみち)ということから、「ひたち」の名がついたという。

(2)
倭武(やまとたける) の天皇が、東の夷(えみし)の国をお巡りになったとき、新治の県を過ぎる頃、国造のひならすの命に、新しい井戸を掘らせたところ、新しい清き泉が流れ出たので、輿をとどめて、水をお褒めになり、手を洗おうとされると、衣の袖が垂れて泉に浸った。袖をひたされたことから、「ひたち」の国の名となったという。


常陸国のPR-常陸国風土記から-》

常陸の国は、国広く、山も遥かに、田畑は肥え、広野の拓けた良き国である。海山の幸にも恵まれ、人々は安らぎ、家々は満ち足りている。田を耕し、糸を紡ぐ者たちには、貧しき者はない。左方の山では塩が取れ、右方の海では魚が取れる。また、後方の野には桑原が広がり、前方の原には麻が栽培されている。海川山野の幸の豊かなところである。ただし(湿地が多く)水田は上質のものが少ないので、長雨が続くと、苗が育たないことがある。程よい日照りがあれば、穀物の実りは充分豊かである。

昔から恵まれた素晴らしい地域だったんだね。



【問題28】
鎌倉時代から戦国時代にかけての時期、東国は相次ぐ戦乱で人心が動揺し、人々は信仰を求めた。水戸地方の寺院について述べた文章で、間違っているものはどれか?
①江戸氏は天台宗薬王院を保護し、円通寺を建立した。
②河和田の報仏寺は親鸞の弟子唯円にまつわる曹洞宗の寺である。
日蓮は加倉井の「ひたちのゆ」に来るという手紙が残っている。
④佐竹氏は真言宗時宗を保護した。


正解は②。
武家は寺社を保護して人々の支持を集めようとした。
報仏寺は、仁治元年(1240年)に唯円が開山した念仏の「道場」を継いだものとされている。
なお、唯円は、親鸞の教えを継承して「歎異抄」を著した人。