勝手に水戸検定合格講座 歴史・史跡編その8

できれば毎日書き続け、ブログを活用して学習を進めたい。

【問題35】
江戸時代の交通について述べた文章で、間違っているものはどれか?
水戸街道は江戸時代の五街道の一つであった。
②東北地方の物産の多くが、湊(なかみなと)から涸沼を通り、北浦から潮来を経由して江戸に運ばれた。
③下町(下市)が交通の要所として栄えた。
久慈川那珂川は当時重要な物資輸送路であった。


正解は①。
水戸街道は、五街道に次ぐ重要性を持つ脇往還の一つであったが、五街道ではなかった。五街道は、東海道中山道日光街道甲州街道奥州街道


【問題36】
徳川光圀は、大日本史の編纂を始めたことで有名だが、これについて述べた文章で、間違っているものはどれか?
①光圀は晩年、自ら編纂にあたった。
弘道館大日本史を編纂する施設の名称である。
③中国の正史の形式である紀伝体の日本で最初の歴史書である。
④全巻完成したのは、明治期である。


正解は②。
弘道館水戸藩の藩校で、9代藩主斉昭が1841年(天保12年)に創立したもの。
なお、大日本史編纂は、その後の水戸藩の歴史を決めたと言って良いほど重要で、幕末の尊王攘夷論は、歴史編纂の中から生まれた思想。大日本史編纂は250年を越える大事業になった。